高知編 その7 お見ヤーン! 亀の墓
8月6日(金) つづき |
タクシーで上町まで送ってもらい、
待ち合わせ場所に着いたのが午後1時。 してデジカメの電池や亀のお墓に供えるための
お酒を買い出しに行きました。
みなさんお揃いです。
岩崎さんとおっしゃる方。 ドラマやTVの取材が来た時にもいろいろと案内することが
あるそうです。
同行します。
この周りに沿って歩きます。 |
『高知学園短期大学』です。
この横を通り過ぎて直進していくと第2の目印が見えてきます。
第2の目印はこの緑色のマンションです。
このマンションの前の道路を挟んで反対側に、
山へと向かう小道があります。
亀への入り口。
今度はこの道をただひたすらに歩きます。
次第に民家が減っていく…。自然が回りを囲みだします。
ここまで来ると完全に山道です。
しかし人はいます。まだ民家がどこかにあるようです。
お墓らしきものが見えてきました。墓地に入ったようです。
道をいけるだけ行くと突き当たりがあります。
ちょうどT字路のようになっていて、右か左かにしかいけません。
しかし私たちは直進するのです。
まっすぐ行くのです!
この先、山の中へと足を踏み入れていくのです。
これはひとりでは到底行き着けません。絶対遭難します。
岩崎さんを先頭に道なき道を進みます。
枯れ枝をどけてまで進みます。
ここから先は岩崎さんの案内だけが頼りです。
岩崎さんは、亀のお墓へ行くのは10年ぶりだと
おっしゃっていましたが
まるで通いなれた道を行くかのごとく、
奥へ、奥へと進んでいきます。
───そして…!
望月亀弥太のお墓にたどり着きました!
裏側には辞世の句が記されていました。
行く秋によしおくるとも紅(くれない)の
ちりてぞ匂へ木々の紅葉(もみじば)
ここは亀弥太の他に数人のお墓がありました。
どうやら、望月家の墓地のようです。
しかし亀の兄の清平のお墓はここにはありません。
岩崎さん曰く、清平は維新後東京に出たらしいとのこと。
ですが、くわしい消息は分かっていません。
持ってきたお酒をお墓に供えようとすると、
お墓にかけていいよ、と言われました。
(お墓参りのマナーとしては、
お供え物はお持ち帰りするのが基本です)
お言葉に甘えて、買ってきたお酒を亀のお墓にかけます。
亀ぇ、いっぱい飲めよー。久しぶりの酒だろー。と思いながら。
自然に、涙が溢れてきました。
やっと、やっと、やっと会えたね、亀。
亀のお墓の前で手を合わせ、深く頭を下げて、
しばらくの間、亀の冥福を祈りました。
その後、みなさんと「龍馬の生まれたまち記念館」へと戻り、
お茶タイム。
そこでいろんなお話をさせていただきました。
特に印象に残ったのは、
以蔵を求めてやってきた中学生のお話。
ちょっと遠いところからやってきた中学生。
彼は以蔵に逢いたいがために新聞配達などバイトをして
旅費を貯め、単身、高知へとやってきたのだそうです。
その心意気に胸を打たれた岩崎さんは、以蔵のお墓やなんやかやと案内したそう。
その際、とある民家へと連れて行き、なんと、
以蔵の所有していたピストルを見せたそう!
気になる以蔵ファンの方はぜひ一度お問い合わせしてみてね。
そして、私が個人的にじんときたお話をひとつ。
幕末で好きな志士は誰かという話になったときに、
私は本間精一郎さんの名を出し
彼が私と同じ越後の人間で、以蔵に殺されたということを話したところ、
岩崎さんはこう言ったのです。
「それは…、高知の人間としてすみませんでした…」
ななななななななな、なにをおっしゃいます!!(焦)
でで、でも、以蔵も好きですから!! と慌てて言う私…。
ほんの些細なことですが、本当に私は感動したのです。
なおいっそう高知の人を好きになった瞬間でした。
こうして、長くも短い高知の旅が終わったのでした。
次は広島です!